2026年10月
Louie ZongさんのGhostアニメ(2018年からざっくり毎年ハロウィンシーズンに更新されてる個人制作アニメーション)、今年の分来てた〜〜うれし〜〜
▽こっちはシリーズのプレイリスト
https://youtube.com/playlist?list=PLQ8_O...
#いいもの
▽こっちはシリーズのプレイリスト
https://youtube.com/playlist?list=PLQ8_O...
#いいもの
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ここでは意図的な断絶を行なっている。
そちらからは投稿時刻が見えないし、こちらからはあなたの存在がわからない。
コメント欄もなければいいねもない、アクセスカウントもしていない。
ただインターネット上に放る言葉と、それを勝手に覗き見ることができる関係未満の関係があるだけである。
お互いにお互いの自由意志に介入はできず、「かもしれない」でできた存在のまぼろしをこのページ越しに感じ取る、ただそれだけ。
SNSのフォローやいいねは、軽い。ボタンひとつで行える。しかし軽いこと自体が、自分にはどうにも重たい。そんなに軽率に可視化された関係を執り行うことに苦手意識がある。
自分は自分の活動を見てくれる存在のことが割と好き というよりも、なんらかの発信者とその受信者という関係力学が割と好きなほうだ。
そこには一緒に食事に行く友人のような関係こそないものの、対人上の表面的な振る舞いを知らないまま本人の発信したいものを受け取っている分、よりディープな部分を見せているとも言えると思っている。
関係が発生すると、どうしても関係上の顔が邪魔をしてその人の本質を直視できなくなることがある。一般的に、親類のプライベートを意外と知らないみたいなことにも近いんじゃないだろうか。
そういう意味で、関係がないままに「かもしれない」で空白の存在に思いを馳せることは間違いなく意味のあるコミュニケーションだろう。
元来、コミュニケーションとは双方向的に探り合うようなものであるはずで、しかし言語が発達した人類は隣人が同じことばを話していると信じてやまないので齟齬が発生してしまう、みたいなことが散見される。
ゲーム「風ノ旅ビト」などの非言語コミュニケーション、あるいは「ひとりぼっち惑星」のようなボトルメール的匿名の場に居心地の良さを感じるのは、お互いの間に大きな空白が横たわっていてよく見えないから、その空白に目を凝らすことでなんとか対象の実像を掴もうとすることが——その過程には都合の良い解釈もあるかもしれないけど、それでも——本質的なコミュニケーションであり、個々人の祈りの性質を帯びたものであるからではないかな。
めちゃめちゃに散文なので結論めいたものがあるわけではないけれど、本質を見るために、あるいは対象を特別に思うコミュニケーションを行うのに必ずしも「つながる」必要はないし、自分史を開陳することも、履歴書を用意することもなくていいとおもうよ、その方が肌に合うやつもいるよ、だからSocial・Not・Working(能動的にソーシャルネットワーキングをしない行為)としてこんなことをしているのだという 記事でした。
そちらからは投稿時刻が見えないし、こちらからはあなたの存在がわからない。
コメント欄もなければいいねもない、アクセスカウントもしていない。
ただインターネット上に放る言葉と、それを勝手に覗き見ることができる関係未満の関係があるだけである。
お互いにお互いの自由意志に介入はできず、「かもしれない」でできた存在のまぼろしをこのページ越しに感じ取る、ただそれだけ。
SNSのフォローやいいねは、軽い。ボタンひとつで行える。しかし軽いこと自体が、自分にはどうにも重たい。そんなに軽率に可視化された関係を執り行うことに苦手意識がある。
自分は自分の活動を見てくれる存在のことが割と好き というよりも、なんらかの発信者とその受信者という関係力学が割と好きなほうだ。
そこには一緒に食事に行く友人のような関係こそないものの、対人上の表面的な振る舞いを知らないまま本人の発信したいものを受け取っている分、よりディープな部分を見せているとも言えると思っている。
関係が発生すると、どうしても関係上の顔が邪魔をしてその人の本質を直視できなくなることがある。一般的に、親類のプライベートを意外と知らないみたいなことにも近いんじゃないだろうか。
そういう意味で、関係がないままに「かもしれない」で空白の存在に思いを馳せることは間違いなく意味のあるコミュニケーションだろう。
元来、コミュニケーションとは双方向的に探り合うようなものであるはずで、しかし言語が発達した人類は隣人が同じことばを話していると信じてやまないので齟齬が発生してしまう、みたいなことが散見される。
ゲーム「風ノ旅ビト」などの非言語コミュニケーション、あるいは「ひとりぼっち惑星」のようなボトルメール的匿名の場に居心地の良さを感じるのは、お互いの間に大きな空白が横たわっていてよく見えないから、その空白に目を凝らすことでなんとか対象の実像を掴もうとすることが——その過程には都合の良い解釈もあるかもしれないけど、それでも——本質的なコミュニケーションであり、個々人の祈りの性質を帯びたものであるからではないかな。
めちゃめちゃに散文なので結論めいたものがあるわけではないけれど、本質を見るために、あるいは対象を特別に思うコミュニケーションを行うのに必ずしも「つながる」必要はないし、自分史を開陳することも、履歴書を用意することもなくていいとおもうよ、その方が肌に合うやつもいるよ、だからSocial・Not・Working(能動的にソーシャルネットワーキングをしない行為)としてこんなことをしているのだという 記事でした。
Category:日々
読まれることに価値が発生するニュースサイトやメディアが広告まみれで、記事を読むために広告(幸い短いものが多いが)を視聴して「報酬を獲得しました」と表示される時、ビュー数を稼ぐ必要があるはず(事業者側にとって1ビューが既に報酬であるはずの)の媒体で一体何が報酬なんだと思うことがある。
物理媒体が売れなくなったとか、マネタイズ上の問題があるからそうしているのだという事情はもちろん理解はするけれど、本来の売り物であるはずの文章を読む体験まで画面を埋め尽くす広告で阻害しているようなものは本末転倒ではないか、と思う。
もちろんそういう方法を採っていないメディアはあるし、そのような自媒体のコンテンツを大切にする信念を感じるメディアを選んでありがたく見るようにしている。必要に差し迫られた調べ物をする時以外ほとんど有料記事を買わないので、マネタイズ事情を鑑みればもう少し財布の紐を緩めるべきかなとも思ったりする。
そうはいっても個人のポケットマネーには限度があるので、やはり「買い支える」ような推し活型の消費に依存する経済構造には無理があるんじゃないかとも思う。
なにより、(既に色んな人に無数に指摘されてきたことではあるけど)広告というものはクライアントからお金をもらっているのに顧客にとっては「見たくないもの」「排除すべきもの」になっていること自体、双方向に不利益、損失、失礼を発生させている構造だなと思う。
大サブスク時代の「本来存在しなかった不快を生み出してそれを取り除くことを報酬とする」やつ、それを仕組む側もそもそも見に来る客に依存しているという在り方になにか歪みを感じて仕方がない。
なにか良い手はないものか、あらゆる人が模索しているはずだと信じているけどなかなか答えが出ない。すぐに出るなら、世界はこのようになっていない。なんとかなってほしい。
なんとかなれーッ
自分は買い切り型コンテンツが好きだ……
物理媒体が売れなくなったとか、マネタイズ上の問題があるからそうしているのだという事情はもちろん理解はするけれど、本来の売り物であるはずの文章を読む体験まで画面を埋め尽くす広告で阻害しているようなものは本末転倒ではないか、と思う。
もちろんそういう方法を採っていないメディアはあるし、そのような自媒体のコンテンツを大切にする信念を感じるメディアを選んでありがたく見るようにしている。必要に差し迫られた調べ物をする時以外ほとんど有料記事を買わないので、マネタイズ事情を鑑みればもう少し財布の紐を緩めるべきかなとも思ったりする。
そうはいっても個人のポケットマネーには限度があるので、やはり「買い支える」ような推し活型の消費に依存する経済構造には無理があるんじゃないかとも思う。
なにより、(既に色んな人に無数に指摘されてきたことではあるけど)広告というものはクライアントからお金をもらっているのに顧客にとっては「見たくないもの」「排除すべきもの」になっていること自体、双方向に不利益、損失、失礼を発生させている構造だなと思う。
大サブスク時代の「本来存在しなかった不快を生み出してそれを取り除くことを報酬とする」やつ、それを仕組む側もそもそも見に来る客に依存しているという在り方になにか歪みを感じて仕方がない。
なにか良い手はないものか、あらゆる人が模索しているはずだと信じているけどなかなか答えが出ない。すぐに出るなら、世界はこのようになっていない。なんとかなってほしい。
なんとかなれーッ
自分は買い切り型コンテンツが好きだ……
Category:日々
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「なんかこうなったらいいな」「意義がありそうだな」という理念のようなものと、日常を営むいち生命体である己はメチャ・相反していても別に矛盾で対消滅とかせずに両立するよな〜〜〜と思う。
「烏合の衆であることをある程度己に許可する」といった言葉が、一時期ぼんやり頭の中でぐるぐるしていた。のんびりが消えると干からびて動けなくなるので、なんかこう、ゆるく、鷹揚に、もちもちと日々が営めることが理想的ですね。
まあ、それぞれが乖離しすぎても伸びすぎてちぎれるおそれがあるので、やわらかみのある範囲で、いい感じに……