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Losachan’s Room Diary

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理想のライフシミュレーションゲームをプレイする夢を見て、目が覚めて、幻と消えてしまって泣いた
小さな村の任意の土地にかわいい家(ここは大まかなデザイン-いくつかの細かいデザイン違い+色選択 くらいの数の選択方式。建築式ではない)
村ではカメラ固定(前面〜斜めくらいの決まった画角を切り替えるタイプ)で、家の中に入るとフリーカメラになるどうぶつの森方式。
家の中では家具を自由に置いてハウジング可能。実際の建築物で変えられない要素(窓や浴室などの位置)は変更不可。
その中で性格や個性を設定したキャラクターが自由に動くというシステムで、大まかにはSimsに近い。
セーブデータの扱いは「1ワールド」「1ストーリー」という単位で、家建築とキャラクターの関係は独立して保存可能になっていて同じ家に別のキャラクターあるいは別の関係(はじめから関係値のある人物を設定可能)・立場(職業や経済状況など)のキャラクターを入れ替えて眺めることが可能になっている。

個人的にこの「ワールドとストーリーが別」と「ストーリー単位で気軽にセーブデータを入れ替えて眺められる」のが大きくて、既存のライフシム(Simsなど)でも同じ操作はできなくもないけど微妙に面倒だとか、チートで事前に調整が必要だとか、既存のゲームは「人生を眺める」寄りで人間関係の変化の機微を眺める方には向かないからそっちを見たいだとか、細かなニーズが満たされている。


成人向けゲームの話になるのだが、「ジンコウガクエン2(1もあるけど)」というゲームがこのニュアンスに近くて、こちらはハウジングは特にないものの先生込みで1クラス分のスロットに好きに作ったキャラクターを入れて遊ぶ、操作する視点主人公を毎朝単位で替えられるギャルゲーという建て付けだった。
成人向けゲーム故にそういう方面の設定要素が多いのはまあそれはそうなんだけど、注目すべきはこれが「学園ものギャルゲー」を再現することに注力している点で、人間関係の細かい好き嫌いを表した名称があり、相関図で確認できるのが最高だった。ただの好感度の大小だけでなく、ヤンデレにはヤンデレの、脅迫関係にある二人にはそれらしい名称と関係の特徴が与えられていた(それぞれに好感度大小の変化もあった)。最高だ。
また、自由度の高い恋愛ゲームという名目だったからかもしれないが、同性愛・異性愛などの傾向を設定できたのも特徴的で、何よりも「同性のみ」「異性のみ」「両方」だけでなく「同性寄り」「異性寄り」というグラデーションのある選択ができたことがなんとFunだろうと思う。
これは「どちらかというと異性が好きだけど例外的に同性も好きになる(逆も然り)」みたいな機微の表現が可能で、他にも隠し要素としてキラカード(キャラクターデータがカード風png?で生成・管理されるシステムなんです。 なんだったんだろうあれ)というものが稀に排出されて、キラキラエフェクトがついているキャラクターには主人公補正のようなバフがかかる……みたいな要素もあった。(他にも個性選択でチャームという人を惹きつけやすい個性も存在した)

とにかく、この人間関係の機微を描く方に特化したガンパレード・マーチ風のシステムがあまりに素晴らしくて、学園ものという制約の中で成立したものかもしれないけど、どうかハウジングのできるゲームにもそういうものが生まれてほしいと祈るばかりだ…………

今朝見たはずの、文字通り夢のゲームは消えてしまったけれど、一つの理想型として素晴らしいものだった……
夢ライフシムゲームの話に戻るが、このゲームの素晴らしいところは「人間関係の認知範囲」というものがキャラクター毎に設定されていて、知る機会がないと誰と誰がどんな関係なのかキャラクターはわからないという要素があった。
だからたとえば、みんなに内緒で付き合ってる連中(関係の秘匿)とか、親友だと思っていたけどそんなことはなかったとわかる悲劇(関係認識のズレ)とか、めちゃくちゃ仲の悪い二人と友達でそれを知らずに遊びに招待してしまった時の気まずさ(間接型・関係認識のズレ)とか、そういう表現が可能になる。プログラムで再現するのが難しそうだけど。
しかし現実ってそういうドラマがあるはずなのだ。
欲を言うなら細かな性的指向(対象性別だけでなく、リスロマンティック/デミロマンティックなどの関係値を参照するものから、サピオセクシュアルといった対象の好みの特徴を設定するものまで)があるとよりうれしい。
よく知らない人の方が好きになれる人もいれば、よく知っている人じゃないと好きになれない人もいる。関係値の好みと外見やステータス的好みのどちらが優先されるかの重みづけもできると素晴らしいと思う。
恋愛だけでなく人間に対する好み(ユーザーが選ぶ仕組みでもいいし、性格に紐づいていてもいいけど性格だけで相性を算出するとパターン化しそうだし後者は難しそうかな)だって本来あって当然で……好感を持っている人と服装や持ち物が被るとプラスの反応が、逆の場合はマイナスの反応が、ニュートラルな場合は気づいてしばらくの間その人物に注目する効果があるはずだ。

キャラクターの視野を制限する、覚えていることの容量があって「知らないこと」「忘れたこと」があえて存在する造りは人間らしさとドラマを生む、あまり注目されていない分野だと思う。

記号的な実装ではあるものの、『トモダチコレクション わくわく生活』の「びっくりしやすい」みたいな個性はプレイヤーが背後から声をかけると飛び上がって驚くというものがある。"意識外の要素に驚く"デザインだ。かわいい。
他にも『グノーシア』には主人公のロジック(育成するパラメータ数値で、ざっくり論理的思考能力とか記憶力とか"かしこさ"を表す)の値によって参照できるバックログの量が変わるという表現があった。これもキャラクターがアクセスできる情報視野の表現だろう。

とにかく、そういう機微が欲しい。
倫理的問題もあるためどこまで実装可能かわからないが、「弱みを握られて脅迫関係」とか「相手に負い目がある」とかもあってほしい。マイナス要素の話ばかりしている気がするが、マイナスがあるからプラスの価値が輝くのだと思うのだ。
必ずしも気が合う人間ばかりではないからこそ、数少ない交友を大切に思う場合も多いと思う。性質的にも記憶力的にも友達100人が実現可能なキャパシティの人間ばかりではない。

なんかこう、そういう機微を実装したゲームがやりたいよ!という話でした。
複雑な処理というと昨今はLLMばかり注目されているけど、生成された文章を読みたいわけではなくて数値管理で美しくデザインされたAI("生成"が付かない旧ゲーム用語の方。NPCの思考プログラム)搭載のゲームがやりたいんだいっっっ という気持ちは、まだまだ存在する。
LLMでも実現できなくはないのかもしれないが、生成する性質があるとどうにもブラックボックスというか、自由度が高すぎるという気持ちになることがある。(自由度が高すぎるものに対して人間が制約を設けてコントロールしているため、制約壁の外が存在すること、壁が壊れたことを知覚できないことに妙な懸念がある。LLM系のゲームではユーザーが設計意図にないことをさせようとしがちだが、普通に遊ぶ上では設計意図にないことはできてはいけないししたくもない。公式提供とMODの線引きは重要で、公式が充実しすぎると二次創作が生まれないという話で、遊びを作るとは無限の自由度を提供することではなくここでなにが"できないか"をデザインすること、不自由のおもしろさを作ることだと思うため)
個人的に、壁の外が存在しないものへの取捨選択・デザインされた構造美としての価値を感じている部分もあるが。

なんだかずいぶん話が逸れたけれど、夢ライフシムゲームをもっと遊びたかった…………
現実でもどうか自分のニーズが満たされるものが遊べる日が来るといいな。 #夢日記
畳む
Category:日々
大義と個人はわけてよい、という話。(忘れそうになる己へのいましめ)
「なんかこうなったらいいな」「意義がありそうだな」という理念のようなものと、日常を営むいち生命体である己はメチャ・相反していても別に矛盾で対消滅とかせずに両立するよな〜〜〜と思う。
「烏合の衆であることをある程度己に許可する」といった言葉が、一時期ぼんやり頭の中でぐるぐるしていた。のんびりが消えると干からびて動けなくなるので、なんかこう、ゆるく、鷹揚に、もちもちと日々が営めることが理想的ですね。

まあ、それぞれが乖離しすぎても伸びすぎてちぎれるおそれがあるので、やわらかみのある範囲で、いい感じに……
Category:日々
ここでは意図的な断絶を行なっている。
そちらからは投稿時刻が見えないし、こちらからはあなたの存在がわからない。
コメント欄もなければいいねもない、アクセスカウントもしていない。
ただインターネット上に放る言葉と、それを勝手に覗き見ることができる関係未満の関係があるだけである。
お互いにお互いの自由意志に介入はできず、「かもしれない」でできた存在のまぼろしをこのページ越しに感じ取る、ただそれだけ。

SNSのフォローやいいねは、軽い。ボタンひとつで行える。しかし軽いこと自体が、自分にはどうにも重たい。そんなに軽率に可視化された関係を執り行うことに苦手意識がある。

自分は自分の活動を見てくれる存在のことが割と好き というよりも、なんらかの発信者とその受信者という関係力学が割と好きなほうだ。
そこには一緒に食事に行く友人のような関係こそないものの、対人上の表面的な振る舞いを知らないまま本人の発信したいものを受け取っている分、よりディープな部分を見せているとも言えると思っている。
関係が発生すると、どうしても関係上の顔が邪魔をしてその人の本質を直視できなくなることがある。一般的に、親類のプライベートを意外と知らないみたいなことにも近いんじゃないだろうか。
そういう意味で、関係がないままに「かもしれない」で空白の存在に思いを馳せることは間違いなく意味のあるコミュニケーションだろう。

元来、コミュニケーションとは双方向的に探り合うようなものであるはずで、しかし言語が発達した人類は隣人が同じことばを話していると信じてやまないので齟齬が発生してしまう、みたいなことが散見される。
ゲーム「風ノ旅ビト」などの非言語コミュニケーション、あるいは「ひとりぼっち惑星」のようなボトルメール的匿名の場に居心地の良さを感じるのは、お互いの間に大きな空白が横たわっていてよく見えないから、その空白に目を凝らすことでなんとか対象の実像を掴もうとすることが——その過程には都合の良い解釈もあるかもしれないけど、それでも——本質的なコミュニケーションであり、個々人の祈りの性質を帯びたものであるからではないかな。

めちゃめちゃに散文なので結論めいたものがあるわけではないけれど、本質を見るために、あるいは対象を特別に思うコミュニケーションを行うのに必ずしも「つながる」必要はないし、自分史を開陳することも、履歴書を用意することもなくていいとおもうよ、その方が肌に合うやつもいるよ、だからSocial・Not・Working(能動的にソーシャルネットワーキングをしない行為)としてこんなことをしているのだという 記事でした。
Category:日々
読まれることに価値が発生するニュースサイトやメディアが広告まみれで、記事を読むために広告(幸い短いものが多いが)を視聴して「報酬を獲得しました」と表示される時、ビュー数を稼ぐ必要があるはず(事業者側にとって1ビューが既に報酬であるはずの)の媒体で一体何が報酬なんだと思うことがある。
物理媒体が売れなくなったとか、マネタイズ上の問題があるからそうしているのだという事情はもちろん理解はするけれど、本来の売り物であるはずの文章を読む体験まで画面を埋め尽くす広告で阻害しているようなものは本末転倒ではないか、と思う。
もちろんそういう方法を採っていないメディアはあるし、そのような自媒体のコンテンツを大切にする信念を感じるメディアを選んでありがたく見るようにしている。必要に差し迫られた調べ物をする時以外ほとんど有料記事を買わないので、マネタイズ事情を鑑みればもう少し財布の紐を緩めるべきかなとも思ったりする。
そうはいっても個人のポケットマネーには限度があるので、やはり「買い支える」ような推し活型の消費に依存する経済構造には無理があるんじゃないかとも思う。

なにより、(既に色んな人に無数に指摘されてきたことではあるけど)広告というものはクライアントからお金をもらっているのに顧客にとっては「見たくないもの」「排除すべきもの」になっていること自体、双方向に不利益、損失、失礼を発生させている構造だなと思う。
大サブスク時代の「本来存在しなかった不快を生み出してそれを取り除くことを報酬とする」やつ、それを仕組む側もそもそも見に来る客に依存しているという在り方になにか歪みを感じて仕方がない。
なにか良い手はないものか、あらゆる人が模索しているはずだと信じているけどなかなか答えが出ない。すぐに出るなら、世界はこのようになっていない。なんとかなってほしい。
なんとかなれーッ

自分は買い切り型コンテンツが好きだ……
Category:日々

#いいもの #音あるよ
Category:日々
いまは間違いなく自分の世界観が好きだけど、外部の何者かになれるわけではないなあと思う
自分は自分にしかなれない、いついかなるときに鏡を見ても「じぶんだ!」というダイアログ以外が出ることはきっとないだろうと思う
ものを作ったり、大気中に散らばった好きを捕獲して濃縮還元している作業はあくまでもより好きなもので自分を固めて、より好きな自分であるための方法でしかないのだと 思う
たぶんきっと、救済の技法は一代限りの自家製造をするしかないのだ
Category:日々
爆音ライダーの爆音に突如として耳を破壊されておそろしい思いをすることが多いので、爆音じゃないライダーが目の前を通ったりするとありがたい気持ちになる
爆音は改造の賜物なので、爆音じゃないライダーからすると身に覚えのない感謝で「なんのこっちゃ…」となるかもしれないが
Category:日々
音声ファイル投稿テスト

帰宅後に脳直出力で口ずさんでいたもの
♪ #音あるよ
Category:日々
ドメイン駆動設計の本を「ドメイン」という文字だけでweb系かと思って読み始めたらシステム開発(ざっくりプログラミング)の本で、どうやら「動くことを最優先にするわけでなく、しっかりと用途について使う人たちのことを学んで未来の運用形を考えて設計しよう」という概念のことらしい。
プログラミングの本なのに、(というか、プログラミングの本をあまり読んだことがないので実はほとんどがこうなのかもしれないが)概念とかプロジェクト進め方、みたいな話をずっとしていてめちゃめちゃ面白かった。
C# の本なのでC# での例を出しながら書かれていたけど、他の分野の仕事でも全く通用する実用書なんじゃないかな……使われている用語がプログラミング用の語彙なので、触ったことがある人にしか通じないみたいな側面はあるけど

実はプログラミングってめちゃくちゃ文系的な能力を要する(クライアントワークやチームだとコミュニケーション力も)抽象概念の作業なのかも!?
「要するにこういうことね!」と読みながら思うことはあるけど、たしかにこれを誰にでも伝わる丁寧な言葉で書こうと思うと複雑な書き方をしないといけなくなるわけね、と思うなどしました 知らない分野っておもしろい

█追記
C# と入力したらハッシュタグ認識になっていて笑っちゃった

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Category:日々
食欲がないというか、食への欲求がマイナスではなくゼロの状態になる波が来ている
冷凍焼きおにぎりか個包装のクロワッサンばかり食べている
なんかおいしい〜〜〜!って思いながら食べたいな……
Category:日々